「海外に出て視野を広げたい」

「世界を見て視野を広げてほしい」

「留学して視野が広がりました」

とか、よく聞きます。
 

それって、

「欧米では家の中で靴を履いている」とか

「外国人って見た目気にしないよね」

とかいう外殻のことだけなんでしょうか。


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それに少なからず似たことではあるのだと思うけれど、わたしは4年間という比較的長い期間を過ごしたことによって、文字通り世界の見方が変わりました。


煮卵にじわじわ味がついていくように、外から、中へ。


自分が長年当たり前だと思っていた砦があっけなくバラバラにされ、形も色も違う積み木がどこからともなく付け足されたので、不器用に組み立て直したところ。


自分が受け容れられておらず外部にあるものとして見ていたものを、自分の考えとして受けて容れている人に出会い、ようやく気がついて世界を見渡して見たらそういったことがすでに構築されている社会を見たような。


2ヶ月前の、卒業する前に書いたものが途中になっていたので、当時書いていたものはそのままに、書き終わっていなかった部分を追記して公開します。


>>ユキの10文プロフィール 

 

 当たり前が崩れた。

高校までは、わりと似たような環境で育ち、似たような考えや目的やモチベーションを持った人たちに囲まれていました。

ベクトルの同じ共感や尊敬があちこちで生まれていた。

それはそれでとても居心地が良い。


大学1年生や2年生になっても、その居心地の良さが忘れられず、高校の同級生がたまにロンドンを訪れてくれると、「同じ人種だ…」とその共感が心臓に浸透してほぐされたものです。 


でも、イギリスで出会った文化や概念や人に、何度も「自分の思っていた当たり前」を壊された。

違う国で育った人からはもちろん、日本人からも。

 
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自分が当たり前だと思っていた考え方、優先度や好みを、そうしない人がいるんだってこと。


世の中は「平等」が目指されるべきだと思ってたし、

学校行事なんてみんなが好きなものだと思ってたし、

焼肉はみんながいつでも食べたいものだと思ってた。



できないって言うなら頑張ればいいじゃんって思ってたし、

キレイごとを言ったからって誰も聞いてなくて世界は変わらないって思ってたし、

女の子は男の子のことを好きになるのが「普通」なんだと思ってた。 



当たり前が当たり前じゃなくなった。


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先生に「質問ある人?」って言われて本当に質問するんだ。

発言って「恥ずかしいもの」じゃないんだ。


地球環境のためにベジタリアンになる人なんて、本当はこんなにいるんだ。

誰もそんなこと、バカにしない。


やりたいことややるべきことがあるのに、精神的な壁に邪魔されなきゃいけないことがあるなんて知らなかった。

「頑張りたくても頑張れない」人がいることを知った。 


女性が外に出るときってブラをつけるものだと思ってたけど、別にそういうわけじゃないんだ。

そしてそれは「ヘン」でも「セクシー」でも「エロ」でもない。


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学んでいる学問に対して、正しいと信じてるからみんなやってるもんだと思ってた。

痩せてる方がカワイイなんて、誰が決めたんだろう。

「平等」「累進課税」「グローバリゼーション」ってイイことなんだから、議論の対象になんてなるものだとは思っていなかった。

食べ物に何が入っていてどこから来たかなんて、買い物しながら見たこともなかった。



 
あっこういう考えがあるんだ。こういう人もいるんだ。

何回「価値観」を壊され組み立て直したことか。



「理解はしなくても受け入れる」


こうやって社会の見え方が変わっていくと、「A」という考え方をしたときに、「B」を前提にこれを考える人はどう言うんだろう。って考えるようになる。

「C」の人もいるかもしれない。と考えるようになる。


「日本人は」って書く代わりに、

「日本に長く住んでいる人は」

「日本で義務教育を受けた人は」

「日本語ネイティブの人は」

「日本人に育てられた多くの人は」

と言葉を選んだ方が、疎外感を感じる人が少なくなるかもしれない。


「両親が」じゃなくて

「家族が」「身近な人が」


「彼氏が」じゃなくて

「恋人が」「パートナーが」

と言った方が、より多くの人の心にすんなり届くかもしれない。

知らないうちに、自分の前提を押し付けているかもしれない。


世界に出て視野が広がるってこういうことだと思いました。



そんなこと言ったって、大半には自分の知っている「普通」で通じるんだからって思うかもしれないけど、みんながちょっとずつやさしくなって受け皿を広くしてみたら、誰かの生きづらさがちょっとずつ緩んでいくかもしれません。

どこにどういう人がいるかなんて、ぱっと見渡しただけじゃわからないんだから。



日本に帰ってきて、見たことないような考え方やしゃべり方をする人に出会ったとき、「変な人」「違う人」とバカにしたり距離を置いたりするんじゃなくて、その違いに目を見開いて楽しんだり興味を持ったりできるようになりました。



難しいことには聞こえないかもしれないけど、学校では知ろうともしなかった教室のあの人。誰にでもいると思う。

ちょっと話しただけで「タイプの違う人だからほっとけばいいや」ってなっていたと思う。


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「理解はしなくても、受け入れる」。

「西の魔女が死んだ」の著者・梨木香歩さんがイギリスで師事していた絵本作家ベティ・モーガンさんの言葉です。

彼女のイギリス時代のことを書いたエッセイ集「春になったら苺を摘みに」に出てきます。


わたしは彼女のこの作品から「寛容」という言葉のニュアンスをつかみ、2年生のときはこの本をイギリスに持っていき、1年間を共にしました。

この本が手元にないときでも、ことあるごとに頭の中に浮かんできました。

偉大な本です。


イギリス留学をする方全員にピンとくるかどうかわからないけど、イギリスや海外に長くいた人にはスッと入ってくると思う。

 




言語化とか、寛容とか、文化とか、抽象的な概念をわたしに染み込ませてくれた本です。