女性だけが乳首を隠さなくてはいけないのは、言われてみれば疑問です。


こんにちは、盛れるブラが手ばなせないユキです。


最近夏になり気がついたのは、イギリスではブラなしで歩いている女性が意外と多いということ。

今回は、イギリスの大学で受けたカルチャーショックのエピソードとともに、日本ではどうして肌を見せることが「はしたない」ということになっているのかについて考えてみました。

■教授のノーブラ

わたしの通う大学は気候変動に関するリサーチ・ユニットを持ち、研究や教育で世界を牽引する大学のひとつと言われています。

その権威ある気候変動の授業を受け持っていた、トレロ一ニ一先生(写真)のようなおばさん教授がある日ノ一ブラで授業に現れたのです。



出典


わたしはびっくり仰天して、クスクス笑いを含んだノリで隣の子に「彼女ブラしてないよね?」と話しかけました。


するとその子は、「あぁ、そういう人もいるよね」と意に介さない風に答えました。



その軽い反 は「い、いるんだ……」と、 にびっくり仰天。

ノ一ブラそのものよりも、それが受け入れられていることが衝撃だったのです。

自分の「当たり前」が崩れた瞬間の1つでした。





どっちが良いとか悪いとかではなく、これが日本の大学だったらどうなのだろうと考えざるを得ない。

少なくとも、わたしの知っている日本の若者の雰囲気ではこんな風にはならないだろうと。



今の感覚では書くことも恥ずかしいですが、 彼女はおばさんだし、胸は小さいし、「誰得〜(誰が得するの?みたいな意味)」とか言われて、バカにされてしまうのではないでしょうか。

教授はニヤニヤ笑われて、みんなその話をして、授業なんて聞いてないかもしれません。


想像ですけどね。



出典


もちろん、イギリスでもノ一ブラは「当たり前」というレベルに達しているわけではなく「変わっている」と思う人もいるのですが、先ほどのように「そういう人もいるよね」という反応です。

女子サッカー部でも、ブラをつけずにピッタリしたシャツを着て練習に来る子がいて、わたしは未だに目のやりどころに困ってしまうような感覚を抱えていました。
 

ところが、夏になり人間観察をしていると、ノ一ブラの女の子は意外とたくさんいることに気がつきました。

ワンピースやキャミソールを着て、その下に何もつけていないのは夏ならすぐわかります。


自由だなぁと。


■Free the Nipple(乳首解放運動)


image
出典

この現象を、「男女平等」の観点から見てみると、やっぱり冒頭の疑問がわいてくるわけです。

女性だけが乳首を隠さなくてはいけないのはなんでや。と。

「小難しい話になってめんどうだな」と思わないでちょっと考えてね。



活動家たちの主張としては、

  • 男性は好きなときにトップレスになれるのに、どうして女性は警察に捕まったり、画像が削除されなければならないのか?
  • なぜ同じ身体の部位なのに、女性のものだけがタブー視されているのか?
  • 乳首はわいせつなものじゃない!

というものです。

言われてみれば…?


2007年に Go Topless という運動が始まり、それを元にした映画 
Free the Nipple (乳首解放運動)をきっかけに2015年のアイスランドから世界に広まっていきました。



わたし個人の見解としては、男女の身体が違うものであるという事実は不変なので、一口に女性がトップスレスになれない状態を「男女不平等」と言えない気もしています。

なので「男女平等」と謳ってトップレスで歩きたいわけではなく、「自由でいいんじゃない」というくらいの外野です。

「乳首を出したいかという話よりも、 問題の本質は女性にチョイスがあるかどうか。男性にはできるのに、女性にできないことがあるのはおかしい。考えるきっかけになればよい」
出典:wotopi・日本人活動家 田上その子さん


しかし、やはり異性愛の男性の多くが女性の胸に「性的な」魅力を覚えるのは確かなようなので、日本のみならず多くの先進国で公序良俗に反することになるんですね。


今のところ、日本でトップレスで街なかを闊歩することは法律違反らしいので、この運動が日本に広まるのは30年後くらいなんじゃないでしょうかね。


アメリカだと、ニューヨーク、ハワイ、メーン、ニューハンプシャー、オハイオ、テキサス州で男女ともにトップレスが合法なようです。(参照: Wikipedia


FREE THE NIPPLE
MPI HOME VIDEO
2015



「女性解放運動もここまできた…」とどこかに書いてありました。 先述の映画です。


着たいものが着れない日本社会


着たくないものを着なくてはいけないことが誰かにとって問題なら、着たいものを着られないことも問題です。

先ほどノーブラが受け入れられていることについて、「どっちが良いとか悪いとかではなく」と書きましたが、「服を着ること」に関しては日本の「悪いところ」が目につきます。


「日本のこういうところが嫌だ」というのは海外在住ヅラしていると思われそうで普段はあまり 書きたくないのですが、これだけは言わせて。


脚を出しているだけで痴漢の対象になるような、レイプの被害者が彼女自身の服装について叩かれるような日本社会は、ほんとにアリエナイ。


こんな風潮が一定レベル以上で社会に根付いているかと思うと、言いようのない虚無感に襲われ、やるせなくなってきます。


世界トップクラスでセックスレスなくせに、他人の身体をどうしてそういう目でしか見れないのか


日本では、乳首はおろか、ブラひもですら見せてはいけないもの、はしたないものと思われています。


わたしはむしろブラも胸もお尻も隠さず見せたほうが、「ちらりズム」という言葉に代表されるような妙な性的興味も薄まるんじゃないかと思います。

堂々と見せたほうがなんとも思わなくなるんじゃないかと。

イギリスの大学のキャンパスで見かける女性は、女性のわたしも見とれてしまいそうになるほどグラマラスな人がたくさんいますが、胸が大きくても小さくても胸を隠さないし、細くても太くても脚を出すし、ぴたっとしたスカートやキャミソールで歩いているし、ブラは見えているしですが、不思議とエロくない。

堂々としているし、それが当たり前なので、変な言い方をすれば「ありがたみがない」。

日本人男子留学生からよく聞く話です。

 



日本では、身体のラインがあまり出ない「ゆるふわ」な服装が「女性らしい」服の典型だったりするのも、そんなファッションが大好きな人もいるかもしれないけれど、日本社会がそれを着させているのかもしれない


これは、日本社会では女性が自分の体を「Desexualize(非エロ化)」する自由があまりに未発達で、男社会によって自分の体が勝手にかつ常に「Sexualize(エロ化)」されるからであり、それに対する自己防衛を迫られているという面が非常に大きいと考えられます。
(出典:exciteニュース・服部元気


上手く言い得た記事です。


反対に、ピッタリした身体のラインが出るような服は、「女性らしい」というよりは「いやらしい目で見られる」「恥ずかしい」「みっともない」「セクシーすぎる」という消極的な理由で選ばれないわけです。


胸の大きい子は自ら「目立たないような」服を着なければいけないし、胸のあいた服や肩の出た服を着ている人は「アピール」だと思われる。

いわゆるスタイルの良い女友達は、ワンピースを着ていただけで電車の中でじろじろ見られたりニヤニヤされたりしたことがあって、好きなものが着られないと嘆いていました。

イギリスで服のショッピングに行っても、「これ日本じゃ着れないよね」ということになります。


着たいもの着させてくれよ。


誰もが女子としてテンションが上がるような、自分らしい服を自由に着させてくれよ。




出典


もちろん、それを日本でも欧米でも女性自らファッションをそういう風に使う人もいるし、グラビアアイドルとか Sexualize された社会(ニーズ)に応えるべく生計を立てている人もいるわけなのですが…。


日本のSexualization(エロ化)は異性愛の男性社会と、それを利用する女性自身によって助長され、深みにどんどんはまっていった結果出てこれなくなり、隠されたものに対しての興味を増長し、「着たい服を着れない」人たちを抑圧しちゃっているんです。


性をコントロールする方法は二つあり、一つは性を隠蔽すること、もう一つは性をオープンにすることだそうです。


■ただし、欧米文化は一回黙れよ。


ここまでの話をまとめると、
  • イギリスではノーブラが許容されていて、欧米ではFree the Nippleという乳首解放運動まで広まっている。
  • 日本ではゆるふわファッションで身体のラインが隠されていて、皮肉なことに女性の身体が異常に「Sexualise(エロ化)」されており、痴漢やレイプ被害が軽視されている
  • 「はしたない」と隠すのをやめてもっとオープンになれば、社会が「Desexualise(非エロ化)」され、着たいものを着られるようになるのではないか。

という話でしたが、だから「欧米は進んでいて日本が遅れている」と言いたいのではありません。


上に引用した記事の中で、「「Desexualize(非エロ化)」する自由があまりに未発達で」とありますが、「未発達」というのは欧米目線とも言えます。


わたしは日本人が肌を隠す「羞恥心」文化は着物のせいだったのかな?と考えていました。


しかし調べてみると、150年前くらいまでは日本のほうが裸体に寛容だったようなのです。

男性はふんどし一丁、女性も腰布一つで歩き回っていました。

飛脚は全身に刺青を入れて裸体で走り回っていたし、混浴文化もありました(ちなみに混浴は燃料の節約が始まりらしい)。 


来日したペリーもびっくりのオープンさ。

欧米が勝手にそれを「未開」として町なかの女性の乳首にギョッとしていたのです。 



出典

せっかく仲間になれそうな西欧諸国に「野蛮人」と思われたら困ると慌てた明治政府は、明治5年に「裸体禁止法」を出しました。


法律で裸体を禁止しなきゃいけなかったって…… 笑 


羞恥心を日本人に植え付けたのは西洋文化の複眼であり、それに大いに加担したのが明治新政府であり、のちの新聞社だったのである。
出典: 裸はいつから恥ずかしくなったか・中野明


明治元年(1868年)から男女混浴禁止法は全国で度々禁止されたけれど、その浸透には30年もかかったとのこと。

裸体どころか今では下着も見えてはいけないものになってしまった日本では、再び裸体が無化されるのには何年かかるのでしょうか。


外からの目線を気にして裸体が必死に禁じられた結果、現代の日本がまた「Desexualiseに遅れてる」と言われることになるとしたら、ちょっと待ってちょっと待って誰のせいでこうなったと思ってるの?って言いたくなりますね。


時代は周る。

歴史は繰り返す。

人は自然に還る。




「はしたない」という肌を見せることに対する恥の心が、着物文化からの由来でなく、欧米に(というか明治政府に)押し付けられて根付いてしまったものであるなら、なんだかもう一回開放的になっても良い気がします。


隠した結果逆にSexualisation(エロ化)が進んでいるような気がするから、隠さない方がいいんじゃないかということ。

フェミニズムについてはこちらの学生同士でも壮大な議論になりますし、誰が正しいというものではありません。

わたしもこの前まで「フェミニズム」って女性の権利を主張する側なのか逆の主張なのかすらわかっていなかったのですが(ちなみに前者です)、これからの時代議論できないとおいてかれますよ!

映画観て語れるようになってください。


FREE THE NIPPLE
MPI HOME VIDEO
2015


¥ 2,171 

そろそろ終わり。なんだか今日は色々な話をしました。

わたしはフェミニストじゃないし、今のところは家の中以外をノーブラで歩き回るつもりもないけれど、こういう考え方もあるよっていう、つまりはただ考えの紹介をしたかったという記事でした。


考えの紹介に、季節の主張を添えて。


イギリスでの留学生活で、ものの見方の変わったところの一つです。