4月に23歳になったユキです。


1年の長さが歳をとるにつれて短くなるのって、というか短く感じるようになるのって、やっぱり歳のせいらしい。




最近知ったのですが、1年の長さが歳をとるにつれて短く感じるようになるのって、やっぱり歳のせいらしい。

どういう原理かというと、

7歳のときの自分にとっては1年って自分の人生の7分の1だけど、今23歳の私にとっての1年は人生の23分の1

なので相対的に時間が3分の1の重さだか長さだかになってしまっているという。


生きることによって、感覚がカコと比べて時間を縮めている。らしいです。


小学1年生が2年生になって去年の夏休みのことを思い出すのと、大学2年生が1年生になったときの春のことを思い出すのでは感覚が違うような。



人生の最初の方では1年って「長いもの」って思ってたのに、それがだんだん短くなってくるからなんか焦ってしまう。

時間の長さの変化って受け入れづらいものがあります。

なんかコワくなってくるし。



これは哲学的に考えたら膨大な議論になりそうだけど。








でも、時間の速い遅いってそれだけじゃない気がしています。

そのときの自分の心境によって変わる。



ここは個人的な話ですが、わたしが2017年の2月〜4月の2ヶ月と、4月〜6月の2ヶ月を比べたとき、重さと長さの感覚が全然違う。

前者は鉛のようにどろっと長く、後者は風のように過ぎていきました。恐ろしいくらい速く。




2月から4月のなんとノロノロしていたことか

卒論があって、卒論が終わらなくて、最終的に納得もいってない。

人前でマリンバをソロ演奏する機会もあって、不安と練習時間の取れなさに押しつぶされた。

人間関係に神経使って、いろんなこと頑張って、もがいてた。


例えれば、欲しいものは海の底にあるんだけど、水圧のせいで前に進めないし、海藻がからみついてきてとっても重い。そんな感じ。

なかなか深層には届かないし、苦しいし、目に入ってくるものも多くて、圧迫感もある。


そんなときの2ヶ月を振り返ると、それは重たいだけではなく、心境の変化が目まぐるしかったせいで、「人(の心象)はこうも変わるものか」と2ヶ月の長さを感じる。




逆に、4月から6月を振り返ったとき、それがなんと軽やかなことか。

紙をぺらっとめくれば机に載っかっているかのように、その2ヶ月の「印象」がそこにある。

課題のために奔走したり、朝から晩までテスト勉強していた時期です。

確かにコンサートやダンスの文化紹介などイベントが多くて、その合間にバイトもあってというケジュール的なキツさはあった。

でも一緒に頑張る仲間がいて、とにかく時間をかければよくて、そのときが来ればそれは終わって、目的もはっきりしていた

1つ1つ「こなして」いくことができたし、振り返ったときの後味も悪くない。


そんなとき、時間が過ぎるのはあっという間だし、思い出したときも「早かったな」「もう6月か」ってなる。



どうでしょう。








注釈になるのかならないのか分からない注釈。
これは、村上春樹を読んだ後の文章です。



でもたまにこういうこと考えてる。

こういうことを思考がふいに言葉になったときに、それってわりと消えやすいので紙に書きとめたり、時間があるとワードにいれて文章にしたりしています。


せっかく思考が言葉になってもそれってとても一時的にしか保存されないので、忘れちゃうととてつもなくモヤモヤするから、私はつかまえておくのに必死です。


バイト中で書くものが周りになかったのでペンで自分の手に書いたり、出先でパスポートのページ犠牲にしてメモしたりするくらい。



昨日読んでた「海辺のカフカ」ではおじさんが猫を覚えておくために、猫に「カワカミさん」とか名前つけてたけど、わかるわかる!


言葉って、概念とか記憶に比べると随分カタチのあるものなんですね。




と、こうして思考をさらすのって恥ずかしい。

特に知り合いが見るかと思うと、気恥ずかしさで例えば「と」を「って」に変えて取り繕ったりするけれど、書きたいものを書きたいならそういうところから取っ払って自分のままに書くところから始めたいと思います。




ユーラシア大陸の先っぽで、パスポートにいろいろ書いているところ。